花田荘のリフォームの依頼を受けてしばらくしてのこと、
日中現調をしていた時に、腰が90度近く曲がっているおばあさんが現れた。隣の102号室に住んでいる、ヤマダ(仮名)さんとのことだった。ヤマダさんは開口一番、「このアパートは取り壊されるんですか?ここがなくなったら行くところがないんです、、、」といった。オーナーからは、ここは将来的にしっかり残す、と言われていたので「大丈夫ですよ、取り壊しません。長く使ってもらうために手を加えるんです。」すると、ヤマダさんはホッとした表情をし、小声で「よかった、、、。」といった。それ以来ヤマダさんはよく工事を見にきて出来上がりが楽しみなことを毎回伝えてくれた。
自分とヤマダさんはいろんな話をした。ヤマダさんがお花が好きなこと、女学校時代のこと、戦争中のこと、独身であり続けたわけ。その中で印象的だったのが、「行政からは市営住宅に移れって言われるんだけど、街が好きなのよ、天神のデパートでちょっとお茶をして、買い物をして帰ってくるのが好きなの。だからここを離れられない。」思いのほかハイカラなおばあちゃんだった。言われて見れば「お出かけ」するときは、ちょっと腰の角度が緩やかになっていたかもしれない。
歳をとると施設に入ったり、郊外の住宅に住んだりする人が多いが、自分でいろんなことができるうちは、街にいた方がいいのかもしれない。外に出る刺激もあるし、病院もすぐ近くにある。体が動くうちは働くこと自体が健康管理やコミュニティ作りなのだ。以前郊外にある住宅のリフォームをしたことがあるが、居間にいたおじいちゃんが半日以上テレビの前から微動だにしなかったのは印象的だった。チャンネルを変えることすらしなかった。家族との会話もなくなってしまった時点でこのおじいちゃんは誰とのコミュニケーションも測れなくなってしまう。
ヤマダさんは野球が大好きらしく、夕方になると、ヤマダさんの部屋からAMの野球中継が「爆音」で聞こえてくる。なかなか存在感のある音で、隣の部屋に入居者が決まったらクレームかな、、と若干不安になったが、後日隣に入居した若者に聞いたところ、「慣れました、目覚まし時計みたいなもんです。」と笑いながら言ってくれた。
工事が終盤に差し掛かり、ベンチの説明をした時のヤマダさんの嬉しそうな顔は本当に印象的だった。顔はあまり見ていないので、そんな風に感じていたのかもしれない。花の水やりをお願いした時のヤマダさんは、嬉しそうだった。
そして花田荘の工事が完了してしばらくしたその年の暮れに身に覚えのない荷物が届いた。ヤマダさんからのお歳暮とお手紙だった。達筆だが、若干震えている字で感謝の言葉がたくさん書いてあった。「お花を育てる楽しみができた。春には花田荘を、お花でいっぱいにしたい。そう綴ってあった。
そして、「花田荘を残してくれたことをオーナーさんにお礼をしたいが、住所がわからない。」と書いてあった。本当に嬉しい瞬間だったオーナーに連絡すると、驚きつつも、「住んでいる人にそんなことされたことないなぁ。」と嬉しそうに言っていた。
それからしばらくして、歳を越して翌年3月くらいだったろうか、花田荘のオーナーから連絡があり、ヤマダさんが亡くなったことを聞いた。ヤマダさんは冬の冷え込んだ日に肺炎をこじらせ急遽入院、そのまま帰らぬ人になってしまったそうだ。ヤマダさんが楽しみにしていた春は迎えることができなかった。とても残念な気持ちになった。あのベンチと手すりを喜んでくれていたヤマダさん。隣の若者も「ヤマダさんの気配(ラジオの音)がしなくて寂しい。」と言ってくれた。
賃貸物件の平均的な契約年数は、単身者で2年から4年、65歳以上で6年以上と言われている。若年層の契約年数は短縮傾向、高齢者の契約年数は長期化傾向にある。約6割のお年寄りが6年以上の同じ場所に住んでおり関西圏に至っては8割の高齢者が同じ賃貸物件の6年以上の契約期間となっている。
ヤマダさんの「行くところがないんです。」という言葉は高齢者の悲鳴なのかもしれない。保証会社と契約ができないと、もはや住み替えすらできない現実。花田荘のオーナーはこう言った。「でもね、高齢者はずっと住んでくれてちゃんと家賃も払ってくれる。本当は大事にしないといけないお客様なんだよ。」こんなふうに思ってくれているアパートのオーナーはどれくらいいるものか。
そんなオーナーに感謝してくれたヤマダさん。
あっちでも元気にしてるかなぁ。