飛行機とサン=テグジュペリ
100馬力から1325馬力まで 乗り継がれた飛行機たち
サン=テグジュペリ(以下サンテ)【1900年6月29日 – 1944年7月31日】は1944年7月31日、コルシカ島自由フランス空軍のボルゴ飛行場から偵察任務に飛び立ち消息を絶ちました。
1998年9月、マルセイユ沖でサンテのブレスレットが見つかり、その後、最後に登場していた偵察機F-5B(P-38)の部品も発見されます。
さて、
ライトフライヤー号が12馬力のエンジンを駆使し初飛行に成功したのが1903年。それからわずか18年後の1921年、サンテは民間パイロットとして空を飛び始めます。
ファーマン-40
130馬力 最高速150km/h くらい
その後、スヌーピーも大好きなソッピース・キャメル(英国製)で戦闘機パイロットの訓練に参加、
ソッピース・キャメル
130馬力 最高速度185km/h くらい
いよいよ1922年、空軍に所属したサンテはコードロンG-3で軍務に就き
コードロンG-3
80馬力 最高速度108km/h くらい
一旦退役した後、暫くの間自動車ディーラーなど地上の仕事をやりつつ、1926年あたりで本格的な作家デビューを果たします。やがてサンテは民間航空会社に就職、当時は通信手段として航空郵便が重要な役割を担っていた時代、ラテコエール社の飛行機に搭乗しています。
※たぶんそろそろアルプス超えが楽になり始めた頃か?(推測)
ラテコエール28
500馬力 最高速度223km/h くらい
1935年、35歳くらいのサンテはフランス↔ベトナム間最短飛行時間記録に挑戦するなど、ほぼ空の冒険家みたいなライフスタイルだったと思われます。このときリビア砂漠に不時着、奇跡の生還をした体験はLPP(星の王子さま1943年発行)に反映しています。
※リンドバーグの大西洋横断単独飛行は1927年
この頃の搭乗機 コードロンシムーン 220馬力 最高速度300km/hくらい
飛行機の性能が向上し、世界中に新しい航路をつくるのが最高に楽しかった時代だったのではないでしょうか。
さて、WW2も始まってしまい1939年9月4日、サンテはフランス空軍に招集されます。
この頃の搭乗機はたぶんこちらあたり
ブロッホ174
1140馬力 最高速度539km/h
そうこうしているうちに1940年6月22日フランスはドイツと講和(独仏休戦協定)します。サンテは動員を解除されアメリカに亡命。ド・ゴールはイギリスに亡命し自由フランスを結成します。
その後サンテは亡命先のニューヨークから自由フランス空軍に志願、再度空に復帰します。
当時アメリカのパイロット年齢制限は33歳、サンテはすでに43歳くらい(しかも度重なる事故や無茶な飛行で体はそうとう傷んでいたはず)。すでに作家として大人気のサンテ、司令官たちは「そろそろ乗るのやめない?」と気遣います。
しかしサンテは周りの反対、命令を押し切り1944年5月、無理矢理?偵察部隊に入隊、当時最新鋭機ロッキードF-5B(P-38の偵察型)で偵察任務に就きます。
1944年7月31日、偵察任務中、地中海上空で消息を絶ちました。
ロッキード F-5B(P-38偵察型)
離昇出力1325馬力 最高速度650km/h
ざっとですがサンテが搭乗したと思われる機体を並べてみました。
彼が駆け抜けた(飛び越えた?)1920〜40年代は航空機が飛躍的に進歩を遂げた時代で、乗り継いだ飛行機たちもプラモデル初級的には聞き慣れない機体が多く登場します。
また、第一次世界大戦、ドイツのフランス侵攻、ヴィシー政権、ド・ゴールの自由フランスやサンテのアメリカ亡命(星の王子さまはアメリカで書いたはず、、) etc、彼を取り巻く世界も目まぐるしく変化し続けた激動の時代。
そんな中、80馬力・100km/hの複葉機から 1325馬力・650km/hの最新鋭戦闘機まで数々のレシプロ機を乗り倒したなんと豪快な人生だったことでしょう。(PC的にはintelのDX2からcore i5までみたいなことでしょうか、、)
飛行機話が”夜間飛行”や”戦う操縦士”、”星の王子さま”などを読むときの一助になれば。(無理矢理ですが)
参考(※用途が違う艦上戦闘機なので一概に比べるものではないのですが)
ゼロ戦(零式艦上戦闘機52型)
1130馬力 最高速度565km/h
※諸元他ググっただけなのでアバウトです、機影も間違っているかもです、ご容赦。
参考にしたページ
Antoine de Saint Exupéry https://bit.ly/2MQASZN
サン=テグジュペリ wiki https://bit.ly/2fqxuXq