第2回:ライフプラグとの出会い①「電気のない生活」
第1回に書いたが、私は自己中心的な人間である。
人として大変申し訳ないのだが、他人の不幸に同情こそすれ、積極的に関わらなかった。ために、人格を疑われてもしょうがないと思っているが、人生を振り返ると少しずつではあるが心変わりしているようで、その一面を書いてみたい。
私の家庭で父親がチャンネル権を持ち、こたつの中で姉と領土を取り合う足喧嘩に励んでいた頃、秘密基地に夢中だった。私の場合、学校の友だちと共有のものが1基、個人用に1基持っていた。共有基地は通学路の路端に放ってあった大木の切り株の下で、たまに下校途中にもぐり込んで集会を催し、日が落ちる前には基地内が暗くなるので帰宅した。個人用は家の裏にある雑木林に枯れ枝を天に向かって放射状に重ねたもので、何かの緊急時用として建てたと思うが使った記憶がない。
切り株の基地で革命が起きたのは、理科の授業で豆電球を作ったときだった。基地で暗くなるまで待ち、豆電球のスイッチを入れた途端に広がった光は、私に長時間基地に滞在する勇気をくれた。私の電気革命だ。だが、帰宅が遅くなったことで怒られ、押し入れに軟禁、晩ご飯はもらえなかった。電気もなく、暗く、ひもじい状況が、どれだけ心にダメージを与えるのかを母親は教えてくれた。
そんな心の傷を少しでも治そうと、私はYou Tubeで「ソロ・キャンプ」ものをたくさん観ている。私が選んだ映像の中の人たちは一人ぼっちでも実に楽しそうだ。テントの設営、薪集め、火起こし、調理などなど、一つひとつ手間を掛け、そこでしか得られない非日常を存分に味わっている。私は彼ら彼女らが駆使する技に感心し、部屋の電気を消して焚き火を前にした食事シーンをつまみに酒を飲む。おかげさまでずいぶんと暗闇と孤独に免疫ができてきたようなので、50歳を過ぎてソロ・キャンプ・デビューを考えていたりする。
そんなときに「ライフプラグ」を知った。そもそもライフプラグとは何かというと、一般的には「外部電源供給システム」と呼ばれているものだ。ライフプラグの場合、ざっくり言えば車(車種限定)のバッテリーを利用してコンセントを付けて家電などを使えるようになる代物で、ガソリンが満タンの状態で一般家庭4日分の電力がまかなえるから、災害時に限らず、キャンプやイベントでも活用できるという優れものらしい。
ゆえに、本サイトの主旨からして、日常生活を楽しみながらも災害時に備えることができる一挙両得グッズという内容の記事を1本考えた。
しかしながら、私はつい先ごろまで「電気がない生活も案外楽しいのかもしれない」などと考えていた利己的な人間だ。そしてまた、自身が災害に襲われたときのことを本気で考えたことはないし、キャンプを計画したこともなければ、イベントを主催しようと思ったこともない。だから、私が「これは便利! 一家に一台ライフプラグ!!」と言ったところで読者に響くはずはない。
ということで、私でも関心が持てる商品なのかどうか、次回からじっくりと検証していきたいので、しばらくお付き合いいただければ幸甚のいたりである。
(以下次回「ライフプラグとの出会い②電源としての車」)